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品川駅より泉岳寺への秘密の通路
−歴史の散歩道−

島田勝弘

 今回は品川駅から泉岳寺へ向う高輪の散歩道と街を紹介しましょう。雑誌などにもほとんど紹介されない地元の人々しか知らない歴史を物語る史蹟などたくさんあります。

 四十七士の討入りの12月に限らず、泉岳寺にお参りする人々は絶えませんが、品川駅より第一京浜沿いに行くか、地下鉄泉岳寺よりそのまま歩いて行ってしまう人も多いのですが、面白いところを見過ごしてしまっています。

 第一京浜(国道15号線)から一歩入ると、そこには江戸時代から歴史を物語る興味ある史蹟や建物を見ることができ、泉岳寺への秘密の細い裏道が続いています。

 まず、JR又は京浜急行品川駅高輪口を出ると、目の前にパシフィックホテルが高く聳えていますが、その周りは古い石垣に取り囲まれています。そこは薩摩藩の屋敷跡です。一説には西郷隆盛と勝海舟とが江戸城引渡しの会談をしたといわれています。他の説では第一京浜をさらに田町のほうに向って泉岳寺を通り過ぎた先に、西郷・勝会見の地という石碑が立っていますが、どちらが正しいのか歴史学者にも分らないそうです。

 東海道五十三次の第一の宿である品川は、参勤交代の大名行列が休憩する所で、旅籠も百軒近くありました。何よりも有名なのは、浅草吉原と並んで遊女が当時1,000人以上もいたという宿場の遊郭で、うそかほんとか分りませんが、僧侶がかつらをかぶってお忍びで通ったという第一京浜に通じる路を桂(カツラ)坂と呼んでいます。この坂は品川と泉岳寺の中間にあり、この辺りは高輪2丁目、3丁目になります。

 この道と交叉して高輪警察署と消防署がコーナーにある十字路になっていて、第一京浜国道に平行に丘の上を走っている細い道を二本榎通り(ニホンエノキドオリ)といいます。街道の目印として2本の榎木が植えられていました。この道は東海道に平行に走っており、土地の古老によれば旧鎌倉街道という人もあれば、旧中原街道という人もあります。おそらく両方の道に通じていたと思われます。東海道を通ると、大木戸門などがあるので、武士などが人目を忍んで宿場遊女のところへ通う道でした。この古い街並には戦災にも焼けずに残った建物もあり、昔の趣を残していますが、品川駅や高輪台駅、白金高輪駅から5分から10分という便利なロケーションの故に、古い建物がどんどん壊され、誠に残念なことに、高層マンションに代わっています。しかし、まだ由緒あるお寺や史蹟が残っています。この二本榎通りは、歴史の息遣いを感じる東海道裏街道です。私の推奨する泉岳寺への裏街道はこの道です。

二本榎通り
二本榎通り

二本榎通りは、五反田から大崎、品川に山手線の内側を走る通称ソニー通りに通じています。この辺りはソニーのビルが林立しています。ということは、ソニーの前身、あのテープレコーダーを開発した東京通信工業も大崎のこの辺りにあったようです。五反田の方から来て、このソニーのビルが終わったところの右側が御殿山と呼ばれる地域で、今でも緑の中に高級な住宅が並んでいます。

 ここを左側に入る道が二本榎通りの出発点で、高輪4丁目になります。ソニー通りから入って右側に広大な庭園と屋敷があり、これが三菱開東閣です。ここが、三菱大財閥を築いた岩崎邸跡です。敷地の一部は売られて、高級マンション、あの山口百恵ちゃんが住んでいたペアシティ・ルネッサンスになっています。

 その名のとおり、この辺りは昔は御殿がたくさんあったのでしょう。開東閣を過ぎた高輪4丁目地域には、大きな邸宅や瀟洒なマンションが建ち並んでいます。よく見ると経済界で名の知れた人やタレントなどの表札を見かけます。この辺を散歩するのもいろいろな発見があって楽しいものです。

 この住宅街を抜けると、新高輪プリンスホテルに出ます。ここは高輪3丁目です。つまり、二本榎通りは、品川プリンス、新高輪プリンス、高輪プリンス、各ホテルの山側を高輪4丁目、3丁目、2丁目、1丁目と高輪の真ん中、丘の上を泉岳寺の上まで走っているのです。この二本榎通りと交叉するところが丘の分水嶺で、左側に降りる方が魚藍坂で、右側に下る方が伊皿子坂で、泉岳寺の正門に通じています。

 この二本榎通りが走っているなだらかな丘を東海道―今の東海道線や山手線のあるところから眺めると丘の上に縄が横たわっているように見えます。そこから高縄という地名が生まれたそうです。従って、昔はこの字が当てられていたそうです。

願生寺「牛塚」
願生寺にある「牛塚」

別の説では、徳川幕府が江戸城を築くために、おびただしい数の牛車が遠方から石を運んで、列をなしていました。そしてお役目終わって、くたばった牛がこの地に集められ、最期をここで過ごしたということです。この牛達を弔った牛塚が泉岳寺駅近くの願生寺(高輪2-16)というお寺にあります。と同時に牛車の大八車もこの辺りで焼却され、鉄の輪っかが山のように積まれたということです。そこで高輪という名ができたそうです。ですから今では高輪というと高級住宅街の代名詞になっていますが、江戸時代は動物の死骸や粗大ゴミの捨て場だったのです。その証拠に、先に述べたように二本榎通り沿いに10階から50階以上の高層マンションが次々に建てられていますが、建築の為に地下深く掘られている時、地下から富裕層である証拠の大判、小判がザクザク出てくる代わりに、割れ瓦、食器、道具の欠けらなど、人骨、動物の骨がザクザク出てきます。きっとゼネコンには正直じいさんがいないのでしょう。

 さて、品川駅から泉岳寺への面白い秘密の通路について述べますと、品川駅から京浜国道を泉岳寺に向って約500m行くと「高輪」と書かれた歩道橋があり、そこから左に入った美しい並木と大きな庭石で整備された道が東禅寺への参道です。

TESS語学研修所
TESS英会話スクール

右にTESSカルチャーセンターと書かれたビルを見ながら、約50m行くと左に大きな木の森と人口の滝があり、これが高輪公園です。TESSカルチャーセンターは、校長が考案した汽車ぽっぽメソッドという方法で教える、シルバーの方々の為の英語特別コースが有名で、40代から70代の方々が英会話を勉強しています。

 カルチャーセンターから50m先に東禅寺の正門があります。門の左側の掲示板のガラス窓の中に半紙に「大丈夫」という言葉が筆で書かれています。禅でどんな意味か私には分りませんが、何となく忘れられない言葉です。右側には石柱があり、「イギリス公使館跡」と刻まれています。この東禅寺の中に、イギリス公使館が置かれ、初代公使オールコックが赴任してきましたが、日本史でも習ったように、攘夷派の浪士による井伊大老が暗殺された桜田門外の変(1860年)、そして生麦事件に続いて、ここ東禅寺事件(1861年)があり、イギリス人及び警備側と水戸浪士側の両方に死傷者を出しました。NHKの大河ドラマ「最後の将軍、徳川慶喜」にも、この東禅寺事件が出てきます。

東禅寺
東禅寺(イギリス公使館跡)

東禅寺の中に入ると、人ひとり歩いていない掃き清められた静寂の庭園の中に五重の塔や本堂、庫裏が建ち並んでいます。ツツジの咲く季節や紅葉の季節はとても美しい庭なのですが、品川駅から5、6分のところにこんなに静かな、どこか人を寄せ付けない厳しさの漂うところがあるとはほとんどの人が気がつきません。それが禅寺なのでしょう。

 再び表門に戻り、右に入ると、人口の滝とブロンズの女性像のある高輪公園です。右側の高輪保育園と児童館を見ながら、こんもりと繁った大木の下を森林浴をしながら突き進んでいくと左側に急な階段があり、この石段を登ると高輪プリンスホテルの目の前に出ます。

次ページへ続く・・・


島田勝弘
TESS語学研修所、校長。テレビでもたびたび紹介された「島田式教授法(汽車ポッポ教授法)」で有名。ホームページは http://www.tesseschool.com/



情報更新:2007/11/01

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