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品川駅より泉岳寺への秘密の通路(続き)
−歴史の散歩道−

島田勝弘

貴賓館
貴賓館

正面玄関の左隣は、風見鶏がてっぺんについているトンガリ屋根の鹿鳴館時代を想わせる品格のある建物があり、これは「貴賓館」と呼ばれ、赤坂離宮(現迎賓館)を設計した片山東熊氏がこれも設計したものです。明治43年に完成し、フランス・バロック様式といわれています。現在は結婚式やミニコンサートなどに使われ、ホテルに断れば内部も見ることができます。松田聖子が二度目の結婚式をここで挙げました。この館も含め、高輪プリンスの庭園の一部は竹田ノ宮邸また、高輪プリンス・新高輪プリンス・現在の衆議院議員会館のある敷地は、竹田ノ宮、北白川ノ宮、毛利邸の屋敷のあったところで、品川駅から高輪プリンスに向う現在「さくら坂」と呼ばれる道は、玉砂利が敷きつめられていて、戦前戦中は庶民はこの道に入れなかったと、土地の古老は言っています。

 高輪プリンスホテルの正面玄関を左に見ながら、なだらかな坂道をまっすぐ200m程歩くと、細い一方通行の道に入り、左側に鉄の門があります。これは、衆議院議員会館の裏門で、そこからこの細道は右に折れますが、この角を曲がって道の左側に、上に瓦が載せてある、薄いブルーの釉薬のついた古い煉瓦の塀が長く続いています。ここを歩く時、何だか古い京都の街を歩いているような気分になります。

 この中は、お母さんの鈴木ナカの後を継いで事業を発展させた息子の鈴木三郎助の屋敷でした。この名をご存知の方も多いと思いますが、小学校の本にも出てくるように、東京帝国大学の池田菊苗教授の発見したグルタミン酸ナトリウムを三郎助は「味の素」として商品化し、株式会社鈴木商店として現在の会社の礎を築きました。屋敷は昭和4年に建てられましたが、典型的な大正風木造日本建築で、塀の外からも赤レンガの四角い煙突や味噌蔵が見えました。高輪プリンスホテルも設計した当時有名な末子寺三郎が設計したそうです。味噌蔵が見えました、と過去形なのは、2004年に木造で維持できなくなったのか、取り壊されてしまったからです。現在、モダンなビルに変って、

味の素研修センター
味の素グループ 高輪研修センター

味の素グループ高輪研修センターとなりましたが、中に当時の日本庭園や茶室が再現されています。そして、このセンターの中に、(財)味の素食の文化センターが日本橋から移ってきて、約3〜4万冊の食に関する蔵書を閲覧することができ、2階には食のミニ博物館があり、江戸時代からの絵や食に関する資料が陳列されています。大変興味深いところで、誰でも受付で名前や住所等を告知すれば、無料で入館できます。私的企業の味の素ですが、地域住民との共生、研究者への協力という姿勢が見えてうれしい存在です。

 この一方通行の道は、丘の尾根づたいに走る二本榎通りに出ます。塀を左に曲がると、そこに旧鈴木邸の瓦屋根のある表門が塀と一緒に保存されていて、そこに立つと時代劇の中に居るようです。その隣が新しく建てられた研修センターの入口で、その又隣が議員会館の入口で、警察官が警備しているので勝手に入ることはできません。その又隣が新高輪プリンス正面入口ですが、この辺りでUターンをして泉岳寺方面に向います。今来た一方通行の道の角から右側3軒目に光福寺というお寺があります。

 このお寺はそれ程大きくありませんが、やはり瓦のある鄙びた正門があって、二本榎通りからの入口右側に掲示板があり、ガラスの中に心の栄養になる有難いお経の言葉が書かれています。今ここを通ったら、「従心想生−観無量寿経」と書いてあり、「イメージを持った生活には充実と活気と笑顔がある」と住職のコメントが書かれてありました。毎月言葉が入れ代わるので、この寺の前を通るのが楽しみです。今までに一番記憶に残った言葉は、「究意諸道―無量寿経」、「一道を究めれば、諸道に通ずる真理と自信をつかむ」という言葉でした。

ゆうれい地蔵
ゆうれい地蔵

さて、寺の中に入ると、ここに有名なゆうれい地蔵があります。江戸時代、この辺りはいくつかのお寺があり、門前町として栄えていましたが、1軒の飴屋に美しい婦人とその子供が、雨の日は傘をささずに、飴を買いに来ました。時々この親子がやって来るので、不思議に思った飴屋の主人がそうっとついていってみるとこのお地蔵さんところで消えたそうです。それを寺の住職さんに話して、次に親子が飴を買いに来た時急いで住職さんと二人でついていくとやはりこのお地蔵さんのところで親子は消えてしまいました。そこで住職さんはここ光福寺に安置し毎日この地蔵さんを供養しました。それから親子は現れなくなったそうです。このゆうれい地蔵は門を入って本堂のすぐ横におかれてありますので、誰でも自由に入っておまいりすることができます。

高輪教会
高輪教会

ここからさらに泉岳寺に向って二本榎通りをしばらく行くと、やはり右側に小さなキリスト教会、高輪教会があります。これは島崎藤村が明治学院に通学していた頃、この教会の礼拝に通いました。昭和7年に作られましたが、今だにとても美しく維持され、可愛いい建物です。その隣りに大きなお寺の門があり、蓮の花の石の台座の上の等身大より大きな石柱に弘法大師と刻まれています。この寺は古くから高野山東京別院としてありましたが、最近建てなおされ、このあたりでは一番大きく目立つお寺になりました。

高輪消防署二本榎出張所
高輪消防署二本榎出張所

その隣に高輪警察署があり、そこが先に述べた桂坂と交叉されているところです。渡った向う側の角のビルが港区の重要歴史建造物にも指定されている高輪消防署二本榎出張所で、昭和8年に完成され、都内で唯一望楼が残されている消防署です。内部も外側のデザインも丸い曲線を多く使っており、建築上ドイツ表現派といわれています。高層ビルのなかった時代、海の方から見て「陸の上の軍艦」といわれていたそうです。内部はアールヌーボー風の曲線の高い天井で古いガス燈もそのまま保存されています。

 この消防署からさらに100m程行ったところ右に承教寺というお寺があり、その門の両脇に面白い顔をした狛犬が置かれています。オヤジに似た顔なので、私はかってに「オヤジ狛犬」と呼んでいます。なぜこのような狛犬なのか曰く因縁は誰に訊ねても、今のところわかりません。
 寺の住職さんに訊ねてみたところ、作者・年代はわかりませんが、住職さんのお父様の時代にどなたかが中国から輸入して飾っておいたのですが、あまり良い事が起こらなかったので、お寺に寄贈して供養してもらい、ここに置いたということです。ですので、少なくとも30年以上、50年か100年くらい古いものかもしれません。

「オヤジ狛犬」
承教寺の狛犬

この承教寺には江戸中期の狩野派の有名な画家英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓があります。彼は人物花鳥の優れた絵を残しており、ご存知の方も多いでしょう。承教寺から2〜300m歩いていくと左側に高松宮邸の森が見えます。正門には護衛の警官がいるので、かってに入れません。その正門の少し手前右側、堀江歯科と高輪ホームズというマンション間、ほんの1メートル幅の細い区道でそこの坂を下っていくと正源寺というお寺にぶつかり、行きかう人と肩がぶつかる程の細い道でその寺をぐるっと回って道なりに行くといつの間にか泉岳寺の正門に出ます。これが泉岳寺への秘密の近道です。泉岳寺の四十七士の話は皆さんの方がよく知っているでしょう。品川駅からこの歴史物語の道を歩いてみたらいかがでしょう。ゆっくり歩いて30分ぐらいです。

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島田勝弘
TESS語学研修所、校長。テレビでもたびたび紹介された「島田式教授法(汽車ポッポ教授法)」で有名。ホームページは http://www.tesseschool.com/



情報更新:2007/11/01

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