台湾の歴史1930年~1994年
一、王育徳(1924~85)台湾語学者。台南公会堂に王育徳記念館がある。その後、香港をへた日本に亡命する。
一、1930.10.27霧社事件。台湾先住民300人が日本人134人を殺害した事件。石橋湛山は蜂起の原因はダイヤル人ではなく当局者にあるとして、軍による過剰な鎮圧作戦を非難した。
一、ニ・ニ八事件1947.2.28もともと台湾に住んでいた人々と大陸から台湾に来た人々の間の亀裂。政府軍の虐殺は2万人以上。阮朝日もその一人。40年以上経った1991年真相が明らかに。すでに処刑されていた。
一、台湾総督児玉源太郎
一、敗戦した日本は台湾から撤収、中国本土から国民党軍が進軍。外省人と言われる。台湾に渡った時期が古い本省人。
一、蔣介石→1975.4.5逝去。
一、美麗島事件→1979年に雑誌『美麗島』が創刊。「島外」の著名人が集結。施明徳、林義雄。政府転覆の疑い。1980.2.28林義雄暴漢に襲われ母、娘2人が殺害。その後判決で無期懲役から懲役12年。
一、1986.9.28民主進歩党結党。蒋経国は不法だが処罰しない方針。そして三条件の遵守を伝える。①中華民国憲法を遵守②反共国策を支持③大陸反攻の放棄を意味する「台湾独立」を認めない。→7ヶ月前にフィリピンの独裁者マルコスが倒れアキノ政権が誕生した事が影響。39年後の1987.7.15戒厳令を解除。
一、蒋経国1988.1.13逝去。
一、李登輝→1988年総統に。台湾出身。蔣介石夫人の宗美麗は反対。
一、1994年台北市長選挙。民進党陳水篇、国民党黄大洲、趙少康が立候補。民進党が勝利するが第3の党が躍進する。