シルクロードの歴史と文化を学ぶ 山田勝久氏

シルクロードに栄えたオアシス都市の興亡を学ぶ全7回の講座。

2025年12/17は西域南道の5つのオアシス都市の興亡を学ぶ。今年9月のシルクロード踏査をふまえた講義は興味と現地のリアルさを知る機会となった。中国新疆ウイグル自治区にあるカシュガル(疏勒)、カルガリク(葉城)、ホータン(和田)、ミーラン(米蘭)、敦煌。それぞれの都市の興亡を概略紹介する。①カシュガル。東西交易の重要な中継地。『漢書』には町にはバザールがあると記されている。インドの仏教はガンダーラ、パミール高原を越えてカラクリ湖畔やタシュクルガンを経て紀元前後にカシュガルに伝来した。2世紀頃は国を挙げて受け入れた。

モル仏塔
カルガリク郊外にあるキバン千仏洞

活力のある一時代を築いた。北東30キロにモル仏塔がある。度重なる戦争と砂漠化で荒廃、9世紀頃放棄され現在の町は14世紀以降建設されたものである。インドに仏典を求めに旅立った法顕はカラクリ湖畔のタシュクルガンに7ヶ月滞在し海上ルートで帰国を目指したが南京で没した。カシュガルは標高が5000メートル有り高山病に注意が必用。②カルガリク。2世紀頃と見られるキバン千仏洞がある。ガンダーラから新疆への入り口に位置する。10世紀初めトルコ系のカラハン王朝によってキバン村は破壊。イスラム教に改宗しない仏教徒は東方へ移動、千仏洞は放棄された。石窟の⅔は埋没したまま。現在の中華人民共和国は宗教関連発掘には資金提供は無いようである。③ホータン。1世紀初め漢王朝の使者が仏典を求めに行く途中立ちよった。1892年ヨートカン遺跡近くの石窟からカロシュティ文字で書写された最古の仏典「法句経」が発見。大谷探検隊が持ち帰った。現在は旅順博物館に保存されている。旅順博物館には大谷探検隊の発掘品が数多く残っている。経緯は大谷光瑞が日本ではなく満州国の関東軍に売った為、戦後中華人民共和国の所有となった。『梵文法華経断簡』クマラジュウがテキストとしたサンスクリットの経典に時代的に最も近い写本。これも展示されている。ホータンから楼欄はほどちかい。今回の踏査で訪問を申し出たが断られたと言う。何故か。現在この近辺は原爆の実験場があり立ち入りが禁止となっている。「残念ながら文化は衰える。行ける時に行かないと後悔する。皆さんも行った方がいいよ」との事。

➃ミーラン。山田勝久先生が「ミーランに行かずしてシルクロードを語る勿れ」と言わしめるミーラン。ミーラン故城は2~9世紀迄存続し栄えた。20世紀初めイギリスのスタインによって発見。今も埋没したまま。1973年に中華人民共和国の発掘が行われ多くの仏教遺物が発見された。1989年には東西交流を語る羽翼天使像の絵が見つかった。800年近く続いたミーランは灌漑によって農耕していたことも最近の調査で判明している。豊かなオアシス都市であった事を彷彿とさせる。⑤敦煌。敦煌には8ヵ所の仏教石窟がある。中でも莫高窟は大規模てで造営期間が長かった。最盛期は5世紀~8世紀。窟の数は492ある。ここは異民族の侵入で衰退したのではない。僧侶が人口の5%。一説として僧侶の腐敗と堕落、民衆への抑圧が住民の仏教から離れた因としている。その後廃墟と化して砂に埋もれてしまった。

現在は流砂に埋没しわずかに仏塔や城壁が頭をのぞかせている