山陰弥生風土記の旅

2022.9.21(木)

サンライズが遅れやくもに連絡出来ない為、姫路で新幹線に移動。岡山に向かう。やくもに乗車。暑い日であった。電動レンタサイクルで風土記の丘をめぐる。古墳群は判別ができない。古事記の世界を学ぶ。昼食は肉を使用しないビーガン料理を食す。非常に美味しい。加茂岩倉・発見現場までは勾配を300メートル程のぼる。さらに100段の階段を登った先。ガイダンスまでは回廊を渡る。

暑い日で難儀する。ガイダンスの館長から丁寧な説明を受ける。現在は山の上だが当時から山伝いを往来する道があり今でも荒神谷まで行けるようだ。銅剣制作と同じ集団ではと言われる。宿泊する松園は弥生の高床倉庫を復元しており圧巻。弥生の食事も一品一品、味付けがしっかりしていて美味しい。品数が多く食べきれない。

2022.9.23(金)

出雲弥生の森博物館で開催していた企画展は鏡。大変興味深く写真に収める。未盗掘の古墳の埋葬にも新しい視点を受ける。死者の蘇りを防ぐために封鎖が厳重であったこと、埋葬した後に再び入り埋葬品を破壊する行為。少し違和感は残る。死者が黄泉の国で生活できるように土器とか生贄と思うのだが。考え方が違うのか。稲佐の浜の岩は不思議である。どこから来たのか。いきなり岩が現れるのは不思議である。水天閣の宿坊窓から見えた宍道湖のウォーキング風景は大学先輩のTさんの手賀沼を連想させた。夕方は雨。宍道湖の夕日は見ることができなかったが湖は美しかった。

2022.9.24(土)

松江から大根島経由で境港へ向かう。途中、トイレ休憩。中村元記念館に偶然遭遇する。松江で幼少期生活した。正しい仏教理解を決意し1947年(昭和22年)に仏教辞典をガリ版刷りで発刊、発刊の辞には「正しい仏教理解を啓蒙するため」とある。大正元年生まれ。この当時37歳。1975年に平凡社より「仏教語辞典」を発刊している。その期間に原稿紛失事件があり20年かけて作成した原稿を紛失することがおきる。しかし、再び原稿作成をする。7年かかる。足掛け30年の事業であった。また、研究所を発足し後進の育成をしている。没後も研究者を生んでいることは素晴らしい。今回の旅での大きな収穫・発見の一つである。現場に発見がある。べたふみ坂から境港へ向かい、直売センターで紅ズワイガニを食べる。良い体験である。蟹は言葉を失う。旬の時期(8/31解禁)に食するのは素晴らしいこと。

弥生の館「むきばんだ」には12:30頃到着。館を見学し、周辺の遺跡を視察。四隅突出古墳がある場所からは、日本海が臨める。眺望が良い場所に古墳はつくられている。大小の古墳が10近くあり小さい古墳は“子供”と書かれていた。青谷上地寺遺跡は発見から25年の遺跡。この遺跡は画期的な発見(戦闘矢じりが刺さった骨・脳など)が多い。今後10年かけて整備が進む予定。新たな発見が期待できる弥生遺跡である。私も機会があれば発掘に携わりたいと思った。

2022.9.25(日)

サンライズ出雲が運行中止となる。姫路に急遽滞在となる。ここには鏡博物館がある。次の機会に訪れみたい。新幹線の時間まで姫路市内を散策。美味しいと評判のケーキ屋によりながらモーニングを食べてしまう。ケーキは食べなかった。妻には申し訳ないことをしてしまった。