史跡めぐりウオーキング 豊島区

都電荒川線鬼子母神駅から歩き始める4キロのコース。
明治から大正にかけて雑司が谷近辺は文学運動の拠点の感がする。児童雑誌「赤い鳥」が創刊され菊池寛が文芸春秋を創刊する。その発祥の地ともいえる。

史跡散策メモ

都電鬼子母神前、ケヤキ並木

参道を入るとすぐに案内板がありました。そこには「ケヤキは、家具や建築用材、特に社寺の構造材や大黒柱に使われている。天正年間に雑司ヶ谷村の佳人長島内匠が鬼子母神へ奉納の為に植えたものである。昭和12年頃、18本有った樹齢400年以上の木も、現在は4本を残すのみである。」
(画像:ケヤキ並木)

鬼子母神堂

1664年徳川4代将軍家綱の代に前田利常公の息女日妙大姉の寄進により建立される。昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、解体復元の大修理が行われた。 境内には都内最古の駄菓子屋がある。魔除けに良いといわれる"すすきみみずく"はここで売っています。ほかにも懐かしい駄菓子がいっぱい。散歩の休憩に涼んでみたらいかがでしょう。
(画像:鬼子母神堂)

法明寺

嵯峨天皇の代の弘仁元年(西暦810年)、真言宗の旧跡で開創。1312年、宗祖日蓮聖人の弟子、日源上人が日蓮宗に改宗、威光山法明寺と寺号を改めた。以来、約700年の歴史を刻んでいる。
(画像:法明寺 )

旧宣教師館

明治40年(1907)にアメリカ人宣教師マッケレーブが建設し昭和16年(1941)に帰国するまで生活。区内に現存する最古の近代木造洋風建築。大正7年「赤い鳥」が創刊。この童話雑誌には雑司が谷に住んでいた菊池寛をはじめとして300人近い作家が発表。その中には芥川龍之介「蜘蛛の糸」、有島武郎「一房の葡萄」、小川未明「服と眼鏡」、北原白秋「からたちの花」など。宣教師館1Fには「赤い鳥」コーナーが設置されていて、その歴史を学ぶことができる。マッケレーブの布教活動と「赤い鳥」の全盛期とが重なっている。平和で文化に眼が向く時代だった。ここを訪れることで古き良き時代の文学散歩となるに違いない。開館時間9:00~16:30。入館無料。休館は月曜日・第3日曜日・国民祝日の翌日。
(画像:旧宣教師館)

菊池寛、旧邸宅跡

明治21年香川県高松市に生まれる。大正12年(1923)に雑誌「文芸春秋」を創刊。昭和10年(1935)には芥川賞、直木賞を創設する。大正12年には雑司が谷金山に住んでいたが昭和12年にここの地に転居、昭和23年に没するまで過ごした。現在は銘板が残るのみである。
(画像:菊池寛旧宅跡)

清土鬼子母神

目白通りに向かってある現在の不忍通りは昔から"清戸道に登る坂"ということで、「清戸坂」といわれた。江戸時代、坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。永禄4年(1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣山村丹右衛門が清土の地辺りから鬼子母神を掘り出したといわれている。(※ここの鬼の字は「角の無い鬼」の字が正しい字形です。)
(画像:清土鬼子母神 )

雑司ヶ谷霊園

雑司ヶ谷霊園は、面積約11万平方メートルの都営霊園で、江戸時代(安政4年/1857年)の絵図では、将軍の御座所として御用屋敷や御鷹部屋(お鷹狩りのための居留地)があった。園内には永井荷風、夏目漱石、小泉八雲、竹久夢二、島村包月、ジョン万次郎など、多種多様な著名人が眠っています。
(画像:雑司ヶ谷霊園 )

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