史跡めぐりウオーキング 東京都文京区-その1-

丸の内線本郷3丁目駅から歩き始めましょう。先ずは下調べとして文京区の歴史を知るには文京ふるさと歴史館を訪問してみよう。炭団坂を下り樋口一葉が住んだといわれる長屋一帯、旧伊勢屋質店、また菊坂一帯には宮沢賢治も居を間借りしていた。文京区のこの地域は文学散歩に格好の場所といえる。

史跡散策メモ

文京ふるさと歴史館
─文京、その深い歴史─

文京区の歴史資料の調査・研究・公開を目的とし、本年開館20周年。文京区の豊かな歴史や文化財、ゆかりの文学者や史跡など様々な展示品を通して紹介している。
開館時間:午前10時~午後5時
休館日:毎週月曜日、第4火曜日(祝日の場合、翌日休館)
所在地:本郷4-9-29
(画像:文京ふるさと歴史館)

炭団坂の由来について
─『坂の上の雲』の舞台─

名前の由来は、「炭団などを商売するものが多かった」「急な坂で転び落ちた者が炭団のようだった」と云われる「文京ふるさと歴史館」の通りを本郷台地から菊坂方面へ下る53段の階段坂。
この炭団坂上には、坪内逍遥が1884(明治17)年から1887年まで住み転居後、久松家運営の寄宿舎「常盤会」となり、正岡子規・河東碧梧桐・高浜虚子など、後に日本の俳壇を担う人々が青春時代を過ごした。その様子を描いた小説が司馬遼太郎の『坂の上の雲』。
(画像:炭団坂由来案内板)

宮沢賢治居住跡
─25歳の賢治が創作に励んだ8ヶ月間─

花巻市生まれの賢治は大正10年1月に上京。赤門前の印刷所で働きながら、布教と作品の執筆に励んだ。
「8月、妹トシの肺炎の悪化の知らせで急ぎ花巻に帰ることになったが、トランクには一杯になるほど原稿が入っていたという。」(案内版より)建物は1990(平成2)年に取り壊された。
所在地:本郷4-35-4
(画像:賢治居住跡の案内板)

樋口一葉旧居跡
─明治の小説家・歌人、一葉の旧居跡─

樋口一葉が父の死後、1890年(明治23年)9月から母と妹とともに過ごし、作家活動を始めた地。生活は苦しく伊勢屋質店へたびたび足を運ぶこととなる。旧居はすでにないが、露地や井戸の佇まいに当時偲ぶことができる。
一葉は1894(明治27)年より「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「われから」を発表、奇跡の14ヵ月と評され、後世に残すも24歳という若さで生涯を閉じた。
本郷4-32
注)史跡・旧居跡周辺の散策は、住民の方々の迷惑にならないよう、ご配慮お願いします。
(画像:一葉の井戸)

旧伊勢屋質店
一葉一家を支えた旧家

一葉が生涯通い続けたといわれる質店。伊勢屋は1982(昭和57)年に廃業したが、土蔵は今でも当時の面影を残している。木造店舗跡は登録文化財。11/23の一葉忌のみ一般公開される。
(画像:旧伊勢屋質店)

菊坂の由来について
─今でも昔ながらの街並みが残る菊坂─

菊坂は名の通り菊が多く栽培されていたところだった。このあたりは今でも昔ながらの街並みが残り銭湯もある。行き交う人々も昭和の時代にタイムスリップしてしまう。ただあまり熱心に歩いて、不審者に間違えられないように注意が必要です。
(画像:菊坂町由来板 )

法真寺
─毎年11月には一葉忌を開催─

樋口一葉は明治9(1876)年からの約5年間を、この寺の東隣にあった家で過ごしました。晩年の日記ではこの家を「桜木の宿」と呼び、少女時代を懐かしみました。法真寺では毎年11月23日の命日に一葉忌が行われます。
住所:文京区本郷5-27-11
交通:都営大江戸線本郷三丁目駅(E-08)下車徒歩5分
電話: 03-3813-8241
(画像:法真寺 )

東京大学
─大学内を散策するのも楽しい。─

起源は、1684年設立の天文方と、1858年神田お玉ヶ池種痘所、1797年に創設された昌平坂学問所の3つが合わさってできている。1877年(明治10年)4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、日本で初めての近代的な大学が設立された。大学内で自然を感じられるのは「心字池」。夏目漱石の代表作「三四郎」で三四郎と美禰子が出会ったのはこの池。作品の影響から「三四郎池」と呼ばれるようになった。
(画像:安田講堂 )

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